PATM研究

自分が居ることで、他人が咳込んだり、くしゃみしたり、痒がったり、化学物質過敏症と同様の反応を引き起こすPATMについて研究するブログです。

PATMというキーワード

私はPATMになって、PATMのおかげで自分自身を理解することができたり、身の回りのことができるようになったりしている、とずっと感じてきました。




これからもきっと、PATMを一つのきっかけにして、色々なことに気付いていくのだと思います。




(以下、加筆しまくりで、文があっちこっち飛んで読み辛いかもだけど、吐き出したいから吐き出す)





PATMの現象自体は、本当にダメージが大きいです。大打撃!です。




だからこそ、あらゆる原因の可能性を考え、のろのろ適当短絡的ではありますが、しらみつぶしをしてきました。
(飽き性ゆえ、潰しきれずに次行っちゃったりする)





ある時は、部屋の埃が身体や衣服に付いているのではないかと、部屋の掃除をするようになりました。





自分は、ものぐさなので、PATMがなければそれ程部屋の掃除をすることはなかったと思います。
(掃除も楽したいので、今やミニマリスト)





ある時は、妄想であるということにしようと思い、妄想に効く薬を飲んだことがあります。





確かに、精神は若干安定するものの、それだけです。根本的治癒に繋がりはしませんでした。





あと、精神科医の、「この患者は関係妄想だな」と思いながら、それを悟られないよう診察をするというやり方は苦痛でした。




統合失調症寛解には、愛が必要だと感じます。
周囲の人々の愛によって統合失調症者が寛解してゆく映画「ラースと、その彼女」には非常に感銘を受けたものです。




冷徹な知識による診断方法を患者に読み取られてしまうようなら、治すことはできないんじゃないか?
と、何様だよ目線で思ってしまいました。





本当に妄想であるとしても、精神薬だけでなんとかなるものだとは思えません。食事療法、認知行動療法、運動などあらゆる面からの働きかけは必須だと感じました。





ある時は、発達障害が関係あるのではないかと、発達障害の薬を飲んでみたこともあります。
(コンサータストラテラとかね)
(アスペルガーに効く薬はないから、あの医者ADHDの話を持ち出したんじゃ…?と思ったりしちゃうひねくれ者)




その時に、薬の成分が効き過ぎて酷い目にあったので、もう精神薬だけでなく西洋薬はなるべくのまないようにしようと思うことが出来ました。






ただ、今でも発達障害など、脳機能の障害・腸内環境による脳機能への働きかけなど、PATMに関係ないとは思えません。





最近知った“コッホの原則“の一つ、「ある一定の病気には一定の微生物が見出されること」というのは非常に気になります。




PATM者の、腸内細菌叢が気になって夜も眠れない。ということは決してないですが…。




そういえば、抗生物質を飲めばPATM治るかも~☆なんて思って、風邪引いたときにバンバン抗生物質飲んでたら(処方されたもの)、胃腸が狂って胃腸炎になりました。





なんという愚か者でしょう。





ある時は、スピリチュアルな人にPATMの話をしてみたことがあります。




その方には、「カビくさい老婆(母親の化身)に憑かれている」みたいなことを言われました。




ある意味、それはPATMによって私が教育されているのだという風に解釈できました。




ある時は、腸内環境が問題なのだ!と思って食生活を見直すようになりました。





私は、本来肉好きで、毎食のように食べていました。でも、魚を意識してとりはじめてから、魚を食べた方が腸内の調子が良いということに気付かされました。




ある時は、皮膚ガスを検査したことがきっかけで、シックハウス症候群の原因となる物質を身体にまとってしまっていることも知りました。





自分の部屋にいるときの不快感の原因が分かり、自分に新築マンションは合わないと悟りました。





色々なことに気付くことが出来ても、それをすぐに行動に移せない自分にぶち当たることしばしばです。




色々言い訳しては、めんどくさいから先延ばしする。(ADHD的側面かと)
そんなときに、PATMの現象がガツンとやってきて、悔しさによって奮い立たされることも少なくはありません。




私の目的は、「PATMの原因を解明して、治すこと」だと思っていました。




でも、PATMが治ったところで、私の場合ですが、この社会生活における生きづらさは解決できないことを理解しています。




PATMを治すこと。実はそれは表面的な目的で、本質としては、PATMを通して自分自身を理解することだったのかもしれない、と思っています。




だから常にPATMの解明だけを考えていられなく、でも他のことを考えて導き出した答えが、何かしらPATMに関連づけられたりするのかもなと思います。





これから、色々なかたの働きかけによって、直接的ではなくとも、PATMに関係する研究がなされてくるのではないかと思います。




やっぱりPATMは捏造だ!なんて意見が出て、研究が頓挫する未来に思いを馳せたりなんかしたり。






でもそれは通過点であり、ゴールじゃーない。
私にとってのPATMの完治も、出来るか否かは分からないけど、通過点。





じゃぁゴールは何か?
PATMによってゴールが霞んで見えないのは確かにそうだけど、言い訳に過ぎないかもしれない。






とりあえず、自分を知らなきゃなと思います。